というものがあれば幸せなのだが、実際のところ、努力がモノをいう世界というのは、きっと存在しない。
努力さえすれば何とかなるという世界観は、残念ながらショセンは「希望的観測」にすぎないのだろう。
そういう世界に最初から生きているからかもしれないが、努力して、大成したという人を知らない。もちろん、努力せずに大成した人も知れないけれど、そういう人は、努力に負う部分よりも才能に負う部分が圧倒的だ(本人はそうは言わないのだろうが)。
ここが肝心なところだな。
つまり、努力すれば、努力が実るということはない。
努力というのは、才能がある、それも「絶対的な」才能があるというのが前提条件だ。
センスと言ってもいい。
そういうものがない人が努力しても、何にもならない。そして、この、何にもならない、ことを一生懸命やる人の実に多いこと多いこと。驚きなんてものではない。しかし、本人は、「希望的観測」に基づいて「努力ゲーム」をしているのだろうから、それはそれで満足なのかもしれない。
しかし、それは「努力」ではない。
残念ながら。
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